フールネの市長
シムノン ロマン・デュール選集
シムノン中期の傑作!
北海近くのフランドルの町を舞台に、堅物で不器用な初老男の心の機微を、繊細かつ豊かな筆致で描く心理小説
市長であり、葉巻工場の経営者でもあるヨーリス・テルリンクは、誰の後ろ盾も持たず、自らの力だけでその地位まで上り詰めた男だった。ある晩、葉巻工場に勤める青年イェフが唐突に金の無心にヨーリス宅にやってくるが、その理由を聞くと、ヨーリスの政敵レオナルト・ファン・ハメの娘リナを妊娠させてしまったという。ヨーリスは一蹴して追い返すが、その直後にイェフはリナを銃で撃ち、自らもその銃で命を絶ってしまう。この事件をきっかけに、富と権力によって町と人々を支配してきたヨーリスの揺るぎない日常は静かに崩れ始め、彼自身も予期しない形で人生を変えていく……。いまもフランス語圏の研究者や愛読者らの間で広く中期の傑作と見なされる一作。
特筆すべきなのは、それまでメグレものではない単発長篇でも何らかの犯罪事件を絡めなければ物語を推進できなかったシムノンが、ほとんど初めて犯罪をフックに用いずに、物語そのものの力で描き上げた長篇だということなのである。おそらく初期のころからシムノンが考えてきた〝このような小説が書きたい〟という想いが初めて叶った作品だと思われる。それはミステリーなどの文芸ジャンルに属することのない、何物とも呼べない「一個の小説」だった。——「解説」より
【著者紹介】
1903年、ベルギーのリエージュに生まれる。十代半ばから地元紙の記者として旺盛な執筆意欲を発揮、1922年よりパリで作家修業を始める。多くのペンネームでコント、悲恋小説、冒険小説を次々と発表し、やがて謎解きものや犯罪小説も手がけるようになる。1930年に本名のジョルジュ・シムノン名義で《メグレ警視》シリーズの第一作を新聞連載、1931年から書き下ろしでシリーズ長篇を毎月刊行し、たちまち人気作家となった。1933年からメグレではない心理小説、《硬い小説(ロマン・デュール)》の長篇も精力的に発表し始める。第二次世界大戦後は北米に移住、その後は主にスイスで執筆を続けた。1972年に引退を表明し、以降は日々の想いを口述録のかたちで刊行していたが、娘マリー゠ジョーの不幸な死を受けて1981年に大部の『私的な回想』を発表、その内容は議論を呼んだ。1989年にローザンヌの自宅で死去、享年86歳。シムノン名義で書かれたメグレものは長篇全75作、中短篇全28作。ロマン・デュール長篇は117作といわれている。フランス語圏を代表する作家のひとり。
【監修者紹介】
1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞を受賞しデビュー。1998年に『BRAIN VALLEY』で日本SF大賞、2021年に『NHK 100分de名著 アーサー・C・クラークスペシャル ただの「空想」ではない』で星雲賞ノンフィクション部門をそれぞれ受賞。小説の他に科学ノンフィクションや文芸評論も手がける。2014年末よりジョルジュ・シムノンの作品を毎月一冊読んで感想を書くウェブ連載《シムノンを読む》を開始、2024年に連載100回を越え、現在も継続中。
【訳者紹介】
フランス語翻訳家。訳書にエクトール・マロ『家なき子』(小学館世界J文学館)、リュック・ベッソン『恐るべき子ども リュック・ベッソン「グラン・ブルー」までの物語』(監訳/辰巳出版)、ジャコメッティ&ラヴェンヌ『ナチスの聖杯』『邪神(メシア)の覚醒』『亡国の鉤十字(ハーケンクロイツ)』(監訳/竹書房)、ラウィック&ロブジョワ『わたしの町は戦場になった シリア内戦下を生きた少女の四年間』(東京創元社)など。